
とともに帰りました。
しかし、悲しんでいてもどう仕様もないと気を取り直し、ろう学校に行く決心をしました。おじいさん、おばあさんも慰めてくれ、「頑張って、やるだけのことはやってみろ」と言われました。両親に苦労や心配をかけることを詫びながら、人ごとと思っていたことが我が身にふりかかったことを嘆いたものです。
ろう学校で担任の広田先生に、「先生、喋るようになりますか?」とお聞きしたら、オオカミの話をしてくれました。そして、「お母さん次第ですよ」と言われ授業を見せていただきました。
一生懸命に頑張っている子供やお母さんの様子を見て、私も同じように頑張ろうと決意を新たにしました。帰りに早速、補聴器を買い泣きながら逃げる敏充に変われるものなら変わりたいと何度思ったことか。
それからは、一歳七ヵ月の子との通学が始まりました。しばらく通ったある日、自動車を見て、ーブウーブー」と発音した時の嬉しさは今でも忘れることができません。補聴器も自分から進んで付けるようになり、音に対する反応も徐々についてまいりました。私の家は長野市から三十キロ余り、ろう学校からだと四十キロ近くになり、三台のバスを乗り継いで通学しなければなりません。
朝は暗いうちから起きて食事の支度をし、七時前に家を出て一キロ歩いてバス停まで。冬の吹雪や、雨に何度泣かされたことか。そして学校に着くのはいつも十時近くになってしまいま
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